いまい かよ illustrator/designer

- 1988年青森で生まれ、その後すぐ千葉へ移動。現在も千葉県在住中
- 高校卒業後デザイン系専門学校へ入学。美術基礎知識を学ぶ
- 2011年〜2018年の間、一般企業でインハウスデザイナー勤務
- 2018年よりフリーランス。2019年〜イラスト制作業務開始
イラストの特徴
- シャープな線で描く「わかりやすい絵」
- クッキリ・ハッキリとした明るい色彩
- 躍動感のある人物イラスト
- 表情豊かな人物描写
取引先さまからは
「誰にでも安心してみせられる柔らかい雰囲気」
「色々なコンテンツと組み合わせられる万人向けタッチ」
この2点について特にご好評いただいています。
教育、ビジネス、健康、運動、メンタルヘルスなど、生活者のライフスタイルに寄り添う幅広いジャンルに対応しています。
インハウスデザイナー勤務を経て独立
所属部署の特徴上、様々な媒体のデザイン制作を経験しました。
店頭用販促物・包装パッケージ・お客様向けのチラシ・社内広報誌・社内カレンダー・ノベルティグッズ等。そして、それらのデザインに必要なイラストも一緒に制作。
会社員時代に手がけた制作物の数は、1000点以上に及びます。
インハウスデザイナー勤務を通して特に身につけた強みは、下記の2点です。
- ターゲットの気持ちを意識する視点
- 柔軟性
社内及び社外向けの制作物デザインのほとんどを担当していたので
「この情報を受け取った相手がどんな気分になるのか(不愉快な印象を与えないか)」という点は、毎日常に意識していました。
また社内の別部署の方や現場スタッフの方に協力を仰ぎながら制作物を作る場合が非常に多かったため、チームで良い結果を出す意識が特に強く身につきました。
今現在の日々の業務にも大いに活かされています。
理念:「個性に富み、心豊かに生きる人」であふれる社会をつくる
いろんな個性をもった人がいるからこそ、
個人が自分らしく生きられる生活圏をつくりたい。
大きな成果や偉業を残すこと「のみ」に執着・固執・評価する社会には限界がある。
みんなが「自分の個性」を認められる社会になってほしい。
「自分自身の個性を認め、かつ心充実感を抱きながら生きている個人」
このような人でたくさんあふれる社会が、私の思う健全な社会の理想像です。
例えば、お菓子作りが大好きな人がいるとします。
お菓子の調理道具に関する情報やレシピをその人が手に入れた時「充実感にあふれる豊かな時間」が生まれるのではないでしょうか?
この様な機会を作り続けていくことが、ゆくゆくは「豊かな社会の実現」につながっていくはずです。
ユーザーが一番出会うべき情報に出会えるように、デザイン・イラストスキルで情報伝達をサポート・ユーザー導線を整えることで、日々社会貢献しています。
もっと詳しく!ひたすらほり下げ自己紹介
そんなご要望にお応えして、インタビュー形式のプロフィール文を作成しました。
項目ごとに掻い摘んで読んで頂くだけでも、私個人の価値観をより一層把握していただける内容です。
ご相談を検討されている方は是非お読みください!
普段のお仕事について
ーー普段はどのようなお仕事をされていますか?
実用書の挿絵や「副教材」のカットイラスト、 Webデザインに組み込んで使うイラストなどを描くことが多いです。 他には土木関連で、自然災害を防ぐ製品のイラストや健康機能食品のご案内を描きました。
歯医者さんのDMデザインや、パンフレットなどのデザインを丸ごと担当もします。 あとは広告のカットなどでしょうか。
- 実用書、副教材などの挿絵カット
- Webサイトや広告で使うイラスト
- 土木関係などのイラスト
- 健康分野、歯医者さんなどのDMデザイン
目立つわけじゃないけれど、ご案内や製品を販売するために必要なイラストのお仕事が多いです!
ーージャンルを問わずいろいろな分野で活躍されているんですね。 教育現場や病院などの依頼も多く、いろいろな人に受け入れるイラストなんですね。
きっと空気みたいな感じですね。存在を感じさせないけれど、ないと困る。 場に馴染むイラストは意識しています。
絵を好きになったきっかけ
ーーイラストのお仕事をされてると思うんですが、イラストが好きになったきっかけはありますか?
そもそものきっかけは、きっと家庭の影響ですね。
母が絵を描くことが好きだったので、その影響を受けて最初は姉が絵を描いていました。 それで、私は末っ子なんですね。末っ子はなんでも姉の真似をするので始めたっぽくて…
どうして描き始めたのか具体的なきっかけはありませんが、でもとにかく楽しかったみたいです。 あと両親がチラシの裏とか、白い紙を集めたり環境を整えてくれたから、ひたすら絵を描く子どもになった、のがきっかけですかね。
小学生くらいになると、友達に「絵を描いて!」と頼まれるようになりましたね。 休み時間の10分休憩に、描いたら友達が喜んでくれるのが楽しかったんです。
好きだったので頼まれなくても、家では描いていましたし、 その頃から絵を描くことを「コミュニケションツール」として使っていた感じがします。
絵を使って人と遊ぶことがたくさんあり、自然とコミュニケーションの一環になったことが、きっかけだったかもしれません。
卒業文集の表紙や林間学校のしおりは、いまいさんにお願いしよう、と自然になっていきました。
その頃から、裏方や制作が好きだったのだと思います。
ーーとてもいいきっかけですね!小学生の頃って、よく絵を描いて遊んだ記憶があります。
余談ですがその頃は「ポケモン」が流行っていて、みんなの推しポケモンをよく描いてました。ピカチュウ描いて!プリン描いて!フシギバナ描いて!みたいな感じで、友達がリクエストしてくるんですよね。
ーーマリオとかカービィとか、世代って感じですよね。
オリジナルのポケモンや、カービィのコピー能力を考えたり……(笑) 当時はそういうのに命がけだった感はあります、懐かしいですね。
ーー自然と絵を描くことを通じて、コミュニケーションを取っていた時代ですね。
専門学生時代
ーー専門的にイラストを勉強されたのはいつ頃からなのでしょうか?
すぐにイラストの勉強を始めたわけではなかったです。
市内の高校に通っていましたが、他のエリアから通学している子が結構いまして、美大を目指す子も多かったです。
でも美大を目指している子から「学費がすごく高い!」と聞いて。私には上の兄弟が2人いるんですけど、両方大学に通ってまして。家の経済状況も心配だったので、美大に行きたい気持ちはあったのですが無理だなぁと。
それに美大志望の子たちは、とても絵がうまかったですし、以前ほどオープンに描くことは減りました。
絵が好きなのは変わりませんでしたが、友人関係も変わり、その頃から「絵が上手い人ってたくさんいる、私って全然うまくないな」と、視界が広がるといいますか、幼いなりに自覚した感じでしたね。
ーー視野が広がって出会いが増えたから、好きだけど昔ほどの純粋さは知識で上塗りされていきますね……。
本気で向き合えば、美大にも行けたかもしれません。 でも予備校にも通わなきゃいけない、費用も高いとお金の心配が大きかったので、そもそも行こうという気持ちになれませんでした。 あんなに絵が上手い人たちがたくさんいる中で、どうやって将来生きていけばいいのか、私はどうやって食べていくだろうと。
それで余計に「大学には行きたいけれど、学問としてではなく、専門学校に行った方が、絵を使ってどう仕事をするのか学べるんじゃないか」と考えました。 自分の可能性を広めようとか、そういう発想は全くなかったですね〜。
ーー進路について考える、学生時代の大きな分岐点ですね。学科はデザインやイラスト系でしょうか?
実は「コンピューターグラフィック」の学科でした。 古い専門学校ですが、進路の先生に相談したらイチオシで勧められました。
ーー意外でした!なぜCG学科に?
当時はネット文化の先駆けと言える、「お絵かき掲示板」というサービスによく出入りをしていたんです。
そこで偶然なのですが、年が近いけどすでに「ネットで絵の仕事をしている人」がいっぱいいたんですね。
ーー今でこそ、ネットから仕事は一般的になってきましたが、当時からその流れはあったのですね。
今では「えんとつ町のプペル」の表紙背景を描いているイラストレーターさんや、有名ソーシャルゲームのキャラクターデザインをされている方、書籍の表紙を描かれている方…など、たまたま絵がすごくうまい方が多くいたんです。
その人達と交流をする中で「オンラインゲームの運営会社に、イラストレーターとして登録(契約)すれば、イラストを描く仕事がある」と知ったんですね。 それなら、ゲーム業界に行くために3Dを勉強しようと、コンピュータグラフィックス学科に進学しました。
ーーCG学科の学習は、3Dや映像に関することが多いのでしょうか?
そうですね。映像や3Dに関する内容がメインで、卒業制作では「Maya(マヤ)」という3DCGソフトを使って作品を作りました!
映像を作るには3Dソフト、テクスチャを描くにはPhotoshopなどの描画ソフト、 さらに3Dを作るには美術基礎が必要という流れで、映像制作に必要な技術は一通り学びました。 After E.ects(アフターエフェクト)の使い方も習いましたね。他には座学として、映像の歴史や有名な作家さんのことを学んだりもしました。
※After E.ects:adobeが提供する映像の加工・制作ソフトウェア。
ーーすごい!ずっとデザインやデッサンをされていた方と思っていたので、意外なお話でした。
卒業する頃には「こんな難しいこと、もうやるもんか!」な気持ちでしたが、当時は頑張って学んでましたね。
インハウスデザイナーに就職したきっかけ
ーー最初はどのような会社に就職されたのでしょうか?
当時はリーマンショックと重なり、その煽りを受けて、自分たちの時は採用数がかなり少なかったそうです。
ゲームは好きでしたし憧れの会社もありました。在学中にゲーム会社に就職した友達もいましたが、「ゲーム会社に就職できたとして、それで私は人の役に立てるのか?」と、思ったんです。
ゲーム会社のために働くことが、当時はうまくイメージできなかったんです。 憧れと自分ができることは別だと、気がついたんですね。
ーー就職を前に憧れとやりたいことのギャップを感じたのですね。
それで、就職活動に本気で打ち込めなかった部分があり、 すぐに就職をせずNPO法人でアルバイトをしていました。 そこで働いて1年くらい経った頃に、知り合いから以前の職場を紹介してもらったんです。
「絵が描けて事務もできる、販促物を作れる人を探していて、1週間後に面接があるから来てくれないか?」と電話がかかってきて
乗りかかった船だ〜〜〜〜!!と思って飛びついたのが就職のきっかけです。
ーー絵が描けて、販促ツールも作れて事務もする、なかなか欲張りセットですね!
求職活動は続けていましたが、やっぱりデザインの仕事は教えられる人がいないから実務経験のある人が条件の案件がほとんどだったんです。『実務経験3年以上!』みたいな。
「自分は実務経験がないから駄目なのか・・・」とうじうじしてたんです。 でも紹介していただいた会社さんは、先輩や教えられる人がいないけど、未経験でもいいよと言っていただけました。
イラストや販促素材を作れる人を採用しようとしていたけど、絵を描きたい人は「それ以外の業務はしたくない」という人が多かったそうです。 それで「いまいさんは大丈夫ですか?」と言われたんですね。
私は他にアルバイトもしていましたし、とにかく未経験でも絵を描く仕事なら全然やるつもりでした。 それを丁寧に伝えると、それが不幸中の幸いと言うか「大丈夫そうだ」と信頼してもらえて、無事に採用していただきました。
ーー自分のしたいことしかしないけど、雇って。というのは、確かに都合が良すぎる話ではありますね。
会社の一員であるのが先ですからね。
みんながやっている雑務や他の仕事も会社を成り立たせるためには必要だから、一緒にやってね。という雰囲気でした。
ーー会社のメンバーとして必要な仕事ですよね。他の人が何をしているか知らないと、会社員としてはつらそうです。
電話番とかが嫌!という気持ちはわかるんですけどね。 みんながやってることを大事にしてほしい、みたいな空気が強かったのが伝わりました。
インハウスデザイナー時代のこと
ーー話せる範囲で良いのですが、インハウスデザイナーの仕事はどんな内容でしたか?
事務仕事は、EXCELやWord使った業務で、一般的なものだったと思います。数字はあまり扱いませんでしたね。
自分しか担当者がいないので、プリンターのインクを頼んだり、プリンターを買い替えるとなれば稟議書も書く。
決済権は上司にありましたが、営業畑の方でしたので、Adobeの更新も発注や管理などは全般的に担当しました。
ーーかなり事務仕事ですね。イラストやデザインの仕事はどんな内容でしたか?
クリーニングチェーン店だったので、お店に貼るポスターから始まりました。
既存のポスターは絵が入っていないものだったので、もっと訴求したいということで絵をいれましょうと。
クリーニング店はライバル店が近くに出店してくるので、店頭販促ポスターバトルみたいな感じになるんですけど・・・
ーー店頭販促ポスターバトル……!?
そのバトルに勝てるようにもっと目立たせたい、「向こうはこう来てるから、うちはこうしたい!」と言われると、文字だけでは限界があるのでイラストを入れたり、レイアウトを凝りましょうと改善をしていきました。
以前はデザイン担当者がいなかったからできなかったけど、やっぱり社員の方々は、もっと会社でいろんなことがやりたいと思っていたようで。
「こういうことできませんか?」とか「広告を作りたいので、見てもらえませんか?」など、徐々に相談してもらえるようになりました。
ーー店頭ポスターから、広報に関するものを中心に担当していったんですね。
広報もありましたが、事務連絡やマニュアルなどのオペレーションに使うイラストの制作も多かったです。
例えば「洗濯物が運ばれてきたら、ここに置きましょう」などは、文章で読んでもらえないので解説のイラストを描いたり、接客案内のオペレーションイラストなども作ったりしました。
絵がある方がわかりやすいですからね!
取り組んだことが会社のためになるのが私もとても楽しくて、やりがいを感じました。
本格的に社内報を作ったり、会社の優秀店を表彰する大会が年に1回開かれるようになって、それに関する映像編集などもしました。
他には外注のデザイン会社との間に入って、やり取りや手直しをしたり、会社のカレンダーの絵を描いたらとても好評だったので、毎年カレンダーの絵を描くようにもなりました。
「こういうの作れない?」と言われたら、どんどんやってみる。気がつけばやったことは多岐に渡りましたね。
ーーいまいさんが入ったことで、今まで社員の方がやりたかったことが、どんどん叶うようになったのですね。
最初は微々たるサポートだったと思いますが、 会社の中はとても良くなった感じはしました。 最初に声をかけてくれた知り合いと上司に感謝です。
デザインの仕事を通して、会社の内側に視線が向くように
ーーインハウスデザイナーの経験が、現在のいまいさんを作っていると言っても過言ではないとのことですが、この仕事を通して得た気づきはありましたか?
デザインの仕事は、会社の人たちの「社内でいろんなことをしたい思い」が先にあります。 デザインが必要とされる具体的な場面は、みなさんに困りごとがあってその解決手段としてデザインやイラストが使われる。それはこういうことなんだと、体感しましたね。
最初に面接で言われた「他のこともやってね」というのが、結びついた感じがしました。デザイン以外の業務も一緒にやらないと、そもそも仲良くなれなかったですし、お店は最近こうなんですよ、という話も聞けなかったと思います。
ーー会社で一緒に働く人のやりたいことがあってこそのデザインの仕事、ということですね。
デザインはあくまで「働いてる人たちのためのもの」
作ったり描いたりするのはもちろん楽しかったですが、「この人たちの問題を解決すると会社の売り上げが間接的に上がる」私はそのためにこの仕事をしているんだと、わかってきたんです。
みんなは何を考えているのか、何がしたくてこの会社にいるのかを、考えるようになりました。
ーーデザインは一緒に働いている人たちのためのもの、と言うのはいいですね。いまいさんが会社の強い裏方となっている感じがしますね。
会社の発注を受けて作る場合は、会社の人たちが「何かを考えて発注してくれている」ので、その人たちが何を考えてるのか、興味を持ちたいと思うようになりました。
これは大切な気付きだったと感じます。
ーーその会社にはどれくらい勤めていたんですか?
7年くらいです。半分アルバイト、半分社員という感じです。 本当に長い間お世話になりましたね。
働き方を変えた理由-なぜ独立したの?-
ーーインハウスデザイナーから、フリーランスになろうとしたきっかけはありますか?
会社に入ってやりたいと決めていたことが、ある程度できたと感じたことです。 なので次は「私が辞めたらこの担当の仕事が消えました」ではなく、「この仕事を仕組みとして会社に残したい」目標がありました。
自分がいなくなってもシステムが回らないと、会社のためになったと言えません。 そ
れからは仕事が増えたこともあり、スタッフさんや後釡になってくれる契約社員さんの採用も進みましたね。
ーー自己都合で抜けるのではなく、仕組みを残しておきたかったんですね。会社のことを真剣に考えている素晴らしい対応ですね。
あとはデザインの仕事をさせてもらって、やりたい仕事ができたからこそ、改めてイラストの仕事がしたいと思ったんです。
一番やりたかったのはやっぱり絵の仕事で。 会社での仕事が楽しかったからこそ、自分がやりたかったことに挑戦したいという気持ちが芽生えてきました。
悩みましたが「やらない後悔よりをやる後悔を選びたい」気持ちの方が強く、どうしても毎年同じ仕事になりがちで、マンネリ化してきたこともありました。
自分が抜けても大丈夫なタイミングも訪れ、この会社でできることは納得の行くところまでやれたと、自分の中で気持ちの区切りもつきました。
それを上司に素直に相談して、退職しましたね。
ーー円満退職ですね。上司の方も寂しがっていたのではないですか?
長かったね.と。上司にもお世話になりましたし、私のことを紹介してくれた方もまだ在籍していたので、その人への恩もありました。(今でもたまに社長に挨拶へ行ったりしてます)
転職活動を通して、自分の仕事の価値観に気づく
ーーその後はすぐフリーランスになったんですか?
まずもっとレベルを上げなければ、という気持ちがあり、転職活動をやりました。 今まで先輩がおらず、デザインの仕事をしてる人が側にいなかったので「転職してから独立すればいい」と考えていました。
でも転職活動を続けているうちに、私の人生は「逃げ」が多いと感じてきたんです。
専門学校を辞めてからすぐに就職しなかった時も、求人誌は見ていても「条件に合わないけど、まず応募してみよう」みたいな、大胆なことをあまりやらなかった。 「逃げ腰でラッキーを待つ」ような意思決定をしているな!?と。
ーー転職に対して、わだかまりがあったのですね。
それで、1ヶ月くらいベンチャー企業にも行きました。
そこでは、【絵が発注されるまでのプロセス】を他のセクションの人が考えるので、自分に降りてくる仕事は絵を描く部分のみ。 「私は絵を描くだけでいい」と、思考が止まった自分に気付いた時「これは逃げ転職だ」と確信しました。 今思えばその働き方は、自分にとって理想じゃなかったのだと思います。
それで今は転職しない方がいいと感じたんです。
ーー仕事の進め方、やり方が自分には合っていないと気がついたんですね。
そのやり方で自分が「良い」と思うものが作れるかと言われると、そうではない気がして。
もう少し自分が踏み込める環境を作らないと、ただ絵を描くだけの人になってしまう。
とりあえず貯金はあったので、先にフリーランスになっておかないと、40歳ぐらいで「昔の私はこうしたかったけど、やらなかった」とやばい人になる気がして。とりあえず痛い目にあっておこう!という気持ちでフリーランスになりました。
ーー転職したからこその気付きがあって、先にフリーランスだと、決めたんですね。
フリーランスはもっとキラキラしてる人がなるものだと思っていたので、「最初からうまいくいく自信があって独立した」とかではないですね…。
ーーいまいさんはフリーランスになってどれくらいなんですか?
2018年の5月頃に開業届を出したので、もうすぐ4年でしょうか。
最初の一年は、私はどうすればいいんだと悩んでいた期間でした。本格的なフリーのイラストレーターとしての活動歴は3年くらいと伝えています。
※2022年1月時点での活動歴です
お仕事をする上で大切にしていること
ーー仕事をする上で、大事にしていることを伺ってもいいですか?
仕事のポリシーといいますか、 私はビジュアル(絵柄)でググッと引き込むタイプではないと思うので、お客さんがやりたいことを自分を通してやる。
あくまで自分は「よく描ける筆」であるという想いがあります。 目的はお客さんの願いを叶えること。
もちろん実績が作れるのも嬉しいですが、「先にみんなの目的を叶える」が強いですね。 私は裏方で制作を進めるのが好きなので、それは結果的に叶えばいいと思っています!
ーー「自分はよく描ける筆である」は印象強い言葉ですね。
自分が得意なスキルを生かして、情報伝達がうまくいってないところで、みんながスムーズに動けるように働きかける。そうすれば、もっと社会全体が良くなるんじゃないかと考えています。 なにか大きなインパクトが起きて社会が良くなってほしいとも思いますが、都合よくそんなことは起きませんから。
「毎日ちょっとずつ何かを動かして、それがだんだん大きなものになっていく」ことを私は信じていて、潤滑油のような動きができたらいいなと思っています。
あくまで絵やデザインはそのための道具、という感じです!
ーーどこかクリエイターは自分が有名になるのが正解みたいな風潮を感じますもんね。でも毎日の積み重ねで変えられることはありますよね。
ワンピースの主人公のルフィみたいに「俺は海賊王になる!」っていう夢も素敵だと思うんです。
そういう人を排出するためにも社会の仕組みがよくなってないと、大きな夢を持つ人も育っていかないんじゃないか?と感じますね。
ーールフィにも仲間や、旅を手助けしてくれる人がいてこそですよね。いまいさんの優しさというか、ポリシーがとても出ていますね。
みんなの問題が解決されないのに、自分が有名になるとか、自分の絵ばかりがうまくなって単価が上がるのは、嫌ですね。お客さんの意見を大事にしながら、足並みを揃えることを大事にしています。 お客さまのお役に立った上で、一緒に社会を良くしていくパートナーとしてお仕事をしたいですね。
理念について
『「個性に富み、心豊かに生きる人」であふれる社会をつくること』が私の活動理念です。
ーーポリシーにも繋がりますが、いまいさんの理念が生まれたきっかけはありますか?
当たり前ですが、人は「ずっと生きてる」じゃないですか。 生きていれば悩みもあり、問題は発生するし、何かしらのトラブルが常にある。
でもそれを誰かが解決し続けるから、社会は成り立っていて、そこにお金が発生して循環が生まれる。その循環の中に、自分も社会の一員として存在していることを(頭ではわかっていたんですが)改めて振り返った時はっきり自覚出来たんです。
ーー人の悩みを誰かが解決し続けるから、社会が回る。頭でわかっていても、実感を持つのは難しいことですね。
正直独立後1~2年は「絵を描きたい欲求」が強すぎて、「どんな社会を創りたいのか」という事を描いてきませんでした。
でも改めて考えた時、私は「社会を良くしたくて働いていた事」に気がついて「実は『みんなが自分の個性を認められるような社会になってほしい!』と思っていた」 と認識できました。
ネットを通じて人・モノにどんどん出会える便利な世の中になってゆく反面、きっとこれからは情報がずっと増え続けていくと思うんです。自分の生き方を決める方法はいろいろありますが、 その中で自分が「これだ!」と思えるもの・情報に出会うことも、大変になってくるのかなと感じています。
世の中の流行や、それこそ一時的に流行ってる情報商材などを手にとれば心はすぐ楽になるじゃないですか?「これで私も流行りに取り残されない。一安心!」とか「みんなと同じだから、私もこれで大丈夫だろう」とか。
でも私が貢献したいのはそういう社会ではなくて、 例えば、週末はひたすらお菓子を作るのが好きな人がいたら、その人が手に入れるべきものは、お菓子道具やレシピ本ですよね。 別に会社で成功してもしなくてもいい。 その人が一番出会うべき情報に出会えるように、デザインやイラストを使って導線を引くことができたらいいなと思っています。
いろんな人がいるからこそ、個人が自分らしく生きられる生活圏を作りたい。
こうなったら世の中がきっと幸せだ!と、自分が考える理想像がこれですね。そういう人が沢山あふれる社会=健全な社会だと思うので、そんな社会を作れる方となにか一緒にやりたい!と思っています。
ーーとても素敵ですね!理念と働き方で大切にしていることが、繋がっていますね。
お互いに価値観が合わない人がいたとしても、その人に不幸になってほしい欲しいわけではなく、「個性に富む」=その人たち(価値観が合わないと感じられる人たち)にとっての幸せも、社会にあるべきだと思いますね。
ーーいまいさんの裏方が大好きで、やりたいことがある人達をデザインやイラストの力で、支えたい想いが伝わるインタビューでした。 これからも多くの人々を支えていってくださいね。
ありがとうございました!
最後まで読んでくださった皆様にも感謝です!

インタビュワー
フルカワカナコ
大阪で活動中の『言葉をデザインする』フリーランスライター
大阪で「ことばをデザインする」をコンセプトに活動中の
フリーランスライターです。
ライティングを中心に記事の執筆、広報サポートなど、
コンテンツ制作の仕事をしています。
活動理念は「Thing is Utopia」
多くの人が言葉を自由に使えるようになり、
誰もが自分らしさを発信できる、
やさしい世界をつくりたいと日々活動しています。
<WEB>https://putpia.com